思考の整理学という思考に関するエッセイ集を読みました。30年近く経った今でも内容は陳腐化しておらず、本文中で指摘されているコンピュータの発達などの流れがより進んだ現代において、むしろ出たての頃よりも時代に受け入れられやすいんじゃないかと思うほどです。
今日は、この本の最初の2つのエッセイで言及されている現代の教育について。
グライダー人間とは
タイトルにしたグライダー人間とはなんでしょう。
グライダー人間
引っ張ってもらえば飛べるグライダーになぞらえ、やるべきことを決めてもらえば優秀だが自分では何も決められない人のこと。自動的。
それに対して飛行機人間も登場。
飛行機人間
自分の動力で飛行できる飛行機に例えて、やることを自分で決め自主的に動ける人のこと。能動的。
筆者は、何か新しいことを始めようとしたときにまず人に習おうとする人が多すぎるということを指摘しています。現代(と言っても1980年代)の教育は数十人にまとめて教えるために画一化されたがためにグライダーとして優秀な人間ばかりが育ってしまい、自主性を活かして自由に飛び回る飛行機型が育たない、皆グライダーだから人に習うことばかり考えてしまうということだそうです。
また、決められたことをこなすのに優秀なグライダー型の人間はコンピュータに勝てないとも言われています。その時代に。
最近では学校教育が見直されて自主性を伸ばすようなカリキュラムも少しずつ増えているようですが、それでも画一的なところはあまり変わっていないでしょう。だって、教える側がそういう一昔前の教育で育ってきているわけだから。
その上コンピュータは30年前とは比べ物にならないレベルになっているわけで、ますます外山さんの指摘が重くなってきているなーと思いました。
そして自分はグライダーである
主観的に見て、僕自身はかなりグライダー人間であると言えます。なんでも好きなことやっていいよ、と言われると固まってしまうのはグライダー人間の証拠です。
グライダー人間はテストの点を取るのは得意、自由な課題は苦手です。私です\(^o^)/
飛行機になる方法
グライダー人間は減点方式に慣れています。テストのように何をやったかではなく、何がダメだったかで評価されることに慣れています。いざなんでもやっていいよという場面になると、何をやってもうまく行かない感じがして物怖じしてしまいます。そこそこできたと自己評価するのではなく、ここまでしかできなかったという見方をしてしまうわけです。
飛行機人間になるためには加点方式でいくと良さそうです。完璧にはできていなくてもやったことを自分で認めてあげないとその先は無いように思います。いきなり飛行機として飛べるわけはないので少しずつ自分で飛んだことを評価してだんだんと好きな方に飛べるようになっていけば良いのだと思います。